2013年08月23日

家族の絆をつむぐ本-継伝-

不思議なご縁

今日はこんな事がありました。
是非読んでみてください。

私が実家にいると、夕方自営業をしている父と母が見知らぬ母娘さん
(娘さんは高校生)を連れて家に帰ってきました。
そして帰ってくるなり、家系図を机に広げ、「この人がこうだからこうで…」
と話し出しました。

横で見ていた私は、『何?どういう事…?』
と、事態が全く飲み込めず、ポッカ〜ン状態。
どうやら広げていたのは母娘さんの家系図らしく、うちの家系図や過去帳などの
資料も引っ張り出し、系図を辿っていくことに。
意味が分からぬまま私もそのお手伝い。
?ではあるが、普段仕事でお客様の家系図や過去帳を辿っている経験が役に立つ。

よくよく話をお聞きすると、その母娘さんは自分の家のルーツを調べていて、
家系図の枝分かれのうちの一部分だけどうしても分からない箇所があり、それを
調べるために、わざわざ大阪から島根(初)に一泊二日で来られたとの事でした。

始めはここ鳥井町の隣の静間町に手掛かりがあるはずだと行ってみたが分からず…。
そこから一番近いお寺さんに訪ねてみたら誰も住んでおらず…。
ほぼあきらめムードでその次に近いお寺を調べ訪問したら、そこがたまたま
我が家の菩提寺のお寺さんでした。
そのお寺の方が色々調べてくれ、そのご先祖さんが我が細田家に繋がっている
らしい事が分かり、父と母の会社を紹介されたらしいのです。

それで会社を訪ね、父と母と一緒に我が家に調べに帰ったという事でした。
皆でよくよく調べたところ、なんと、我が家の四代目とその方のご先祖様が
同一人物だったのです。
そして母娘さんの家系図の中で、穴が空いていてどうしても分からなかった
数箇所が分かったんです!!

その後母娘さんと一緒に、そのご先祖様のお墓参り(我が家から徒歩1分)をし、
これも何かのご縁という事で、一緒に御食事もしました。

短い時間の中で、しかもほぼあきらめムードの中、奇跡的に辿りついた我が家。
お母さんは「感激し過ぎて食事も喉を通らない」とおっしゃっておられました。
そのお姿に私も感激し、本当に嬉しく思いました。

また、そのお母さんのご両親もご高齢ながら元気にされておられ、そのご両親が
穴の部分を知りたかったという事もあるらしいので、この事を知ったらさぞ喜ばれる
事でしょう^^


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自分がこういう仕事をしているだけに、不思議なご縁を感じた一日でした。
母娘さん、またいつでも遊びに来てくださいね〜♪



posted by 細田次郎 at 00:59 | Comment(0) | 継伝 こぼれ話

2013年06月26日

家族の絆をつむぐ本-継伝-

最愛の人


70代のおばあさんの継伝を作らせて頂いた時の話


おばあさんは小学2年生でお母さんを結核で亡くし、5年生でお父さんを
兵隊にとられ亡くされました。

その後はおばあさんに育てられ、中学を卒業してから今まで家業の農業一筋で
暮らしてきたのでした。

私がインタビューさせて頂く時にはベッドに横たわりながら喋られました。

五年前に最愛のご主人を亡くされたのと同時に体調を崩し、それからずっと
病気がちだったからです。
ご主人は若い頃は本当に男前で、仕事もきちんとし、家族も大事にする
言うことない夫だったようです。

継伝に載せる写真を探す段になった時、おばあさんからも娘さんからも
「昔の写真はもう探せない」
と言われました。
「蔵のどこかにはあるはずだけど、ごちゃごちゃしてどこにあるか分からず探しようがない」
との事でした。

『せっかくなので若かりし頃の写真やご家族の写真をなんとか載せさせて頂きたい』
私はそう思い、
「次回お伺いした時に自分が探すので、蔵に入らせてください」
と娘さんにお願いしておいたのでした。

そして後日伺ってみると、どうしたことか娘さんがたくさんの昔の写真を
手にしておられました。
なんと娘さんが蔵を探してくださったのです。
思ってもみない洋服の収納ケースの底の方から封筒に入って出てきたとの事でした。

掲載写真を選んでいると、ちょうどおばあさんが施設から戻ってこられました。
誰の写真か分からないものもたくさんあったので、おばあさんに写真を見てもらう
ことなり、おばあさんと娘さんとお孫さんと私とで一緒に写真を見ながら話をしました。

おばあさんは十数年ぶりに見るご主人の若かりし頃の写真、早くに亡くなった
お母さんやお父さんの写真、自分の子供の時の写真などをとても懐かしんで、
嬉しそうに眺めていました。

原稿も写真も揃い、いよいよ製本を発注することになりました。

その発注をかけている最中におばあさんは脳卒中で倒れてしまったのです。

本が出来上がったとき、おばあさんはもう見ても理解できない状態でした。
しゃべることもできなくなってしまったのです。



娘さんはこうおっしゃられました。

「母に完成した本を見せてあげることができなかったのは本当に残念です。
でもそうなる前にご先祖さまに触れることができ、母の思い出ができたことに
本当に感謝しています」


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posted by 細田次郎 at 22:53 | Comment(1) | 継伝 こぼれ話

2013年05月28日

家族の絆をつむぐ本-継伝-

ちょいと不思議な話


ちょっと不思議な話です。
(私に妄想癖はありませんので、内容は全て事実です^^)
ものすごい偶然の一致なのか? はたまた意識はつながっているのか?
みなさまならこの話をどう解釈されるでしょうか。
私はいつものクセで、勝手にいい風に解釈しています。


継伝制作を事業化する前の構想段階の話です。

私は継伝を考えついた時、人に意見を聞きいてみたくて自分の空想で物語を作り、
試作品を作ってみることにしました。

出てくる登場人物と話はほんとに適当に思いつくまま、写真は自分の祖母の写真など
を引っ張り出して原稿を作りました。
主人公になったのは“定岡八重子”さん。
今まで私の知り合いに定岡さんも八重子さんおらず、本当に思いつくまま考えたものでした。

原稿が出来上がり製本に出すことにしました。
これまで製本などお願いしたことがなかったため、インターネットで製本会社をたくさん見て、
問合せをしたりして、自分なりに価格と品質に信用が持てそうな会社を選び、関西の会社
に製本をお願いしたのでした。

そしてできた試作をたくさんの人に見て頂き、大変好評だったので事業化することに
決めたのでした。

さて、その後実際にお客様の継伝を作る事になりました。
最初の制作者は60代のご夫婦でした。
インタビューをしていると、旦那さまが奥さまの名前を何度か呼びます。
『何か聞き覚えがあるような…』と思っていたら、なんとその奥さまの名前は
“八重子”だったのです。お客様第一号は八重子さん。

時は過ぎ、たまたま関西方面に行く用事があったので、製本をお願いしていた会社を見て
おこうと思い、あいさつに寄ることにしました。
最初からずっとやりとりをさせてもらっていたのはある女性の方で、その方とお会いする
事になりました。

いざお会いして色々話に花が咲いていると、その方は島根県出身だという事が分かりました。
それは偶然の一致だなと驚き、同時に同郷という事で嬉しくなり喜んでいると、その方曰く、
「試作の製本発注を受けたとき、原稿の目次を読んでいて、『これは自分の家の話か?』
と錯覚した」
との事。 なぜ…?

なんと、その方のお母さんは“八重子”さんで、目次に出てくる登場人物(私の空想)と
自分の親戚の名前が複数重なっていたようです。
私はそれを聞いて本当にびっくりしたものでした。

そして思わずその帰りに松江市の“八重垣神社”に参拝に寄ったのでした。

じゃんじゃん♪


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posted by 細田次郎 at 22:17 | Comment(0) | 継伝 こぼれ話

2013年05月19日

家族の絆をつむぐ本-継伝-

87のディズニーランド


お菓子屋のおばあさんのお話


おばあさんは3歳の時に、代々お菓子屋さんを営む母の実家に子供がいなかったために、
その家に養子に出されました。

貧しくも自由で楽しい小学校時代を過ごし、女学校を卒業すると都会に憧れていたこと
もあり、姉がいた兵庫県に就職しました。

いよいよ戦争が激しくなってきた昭和19年に地元で一人残っていた母のことが心配になり
(父は10歳の時に他界)、地元に帰ることにしました。
翌年昭和20年(この時20歳)の終戦とともに止まっていたお菓子の材料が再び手に入るよう
になり、両親と共にお菓子屋を再開することになりました。

結婚した夫の身体が弱かったこともあり、おばあさんは自分が中心となって菓子屋を
切り盛りしながら二人の子供も育てました。
以来80歳になるまでの60年間、おばあさんは4代目として第一線でお菓子を作ってきました。



さて、このおばあさんの継伝はお孫さん夫婦(6代目)からの米寿のお祝いとして
作らせて頂いたものでした。そこには子や孫も知らなかったおばあさんの逸話、
お菓子屋の歴史などがたくさん出てきました。

最後のくだりはおばあさんが仲良し3人組でよく旅行に行ったという思い出話でした。
そしてその中には、
「死ぬまでに一度ディズニーランドに行ってみたかったけど、足も悪いしもう行けないなあ…」
というおばあさんの思いが…。

継伝が出来上がって1ヶ月後、おばあさんは87歳にして人生初のディズニーランドを
楽しんでいました。

連れて行ってあげたのは、継伝を読んだ息子さん夫婦(5代目)だったのです。



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posted by 細田次郎 at 15:23 | Comment(0) | 継伝 こぼれ話

2013年05月08日

家族の絆をつむぐ本-継伝-

お孫さん(20代)の手紙より


昨年の夏のことです。
家の裏山の草刈りを人に頼んだところ、毎年咲くササユリたちが刈られてしまいました。
僕のおじいちゃんが毎年ササユリが咲くのを楽しみにしていたので、僕は刈られたササユリ
を探しましたが、見つけることができませんでした。

(※ササユリ…本州中部〜九州に分布する多年草。6〜7月にはきれいな花を咲かせる)
すると翌日、なぜかササユリが玄関に生けてありました。

なんとパーキンソン病でほとんど歩けないはずのおじいちゃんが、山に登って刈られた
ササユリを見つけ出してきたのです。
なぜ、そこまでするのかと僕を含め家族はあきれ返っていました。
いつものもったいない性分だろうと思い、おじいちゃんの行動が理解できませんでした。

その年の冬に祖父母の継伝を作ることになり、僕がおじいちゃんがこれまで書き溜めた
和歌ノートから継伝に載せる和歌を選ぶことになりました。
(※以前おじいさんは毎日ノートとペンを持ち歩き、家の周囲を散策して自然を楽しみながら
和歌を日記代わりに書き綴っていた。一日百首以上作ることもあり、数十年書き続けたノート
は二百冊以上、短歌の総数は十万種を優に越えている。
しかし10年前にパーキンソン病になって以来、字を書くこともままならず、ノートを書くこと
も無くなってしまった。)


ノートを見ていくと、ある年の7月の記述に目が止まりました。

“百合(ゆり)採ると ともに遊びし少年の
              友は逝きたり その山荒れぬ”


おじいちゃんに聞くと、その友とは18歳で亡くなった幼馴染のことだったようです。

(※少年とはおじいさんのことで、亡くなった幼馴染とは裏山でよく一緒にササユリを採って
いたそう。その山はよく手入れされていて、ササユリが咲いているのがよく分かったそうだ。
その山も年月が経ち、雑木林になってササユリも咲いているのかどうか分からないくらい
荒れ果ててしまったという意味の和歌)
この時、おじいちゃんのあの時の行動を初めて理解することができました

和歌ノートを見返すと、日々思っていたことなどが事細かに和歌になっており、普段
口数の少ないおじいちゃんのことが少しだけ分かった気がしました


家族の想いに触れるとても良い機会を与えていただき、感謝しています。



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posted by 細田次郎 at 21:49 | Comment(0) | 継伝 こぼれ話