2014年05月28日

家族の絆をつむぐ本-継伝-

子を捨てる?


〜 大田市に住む70代の方の継伝より 〜

昔は身体が弱い子供をよその家に連れて行って、
「今日この子を捨てるけ拾ってごせ」
と頼んで、玄関口に子供を置いて帰り、その家の人が一日面倒を
見て晩方に連れ戻すと元気になるという風習があったらしい。


それで母は私を親戚の家に捨てた事があった。


posted by 細田次郎 at 21:02 | Comment(0) | 継伝から知る歴史・伝統・文化

2014年05月20日

家族の絆をつむぐ本-継伝-

トイレの神様

〜 大田市に住む70代女性の継伝より 〜


私は子供の頃ずっと身体が弱かった。
それでもある日から突然身体が強くなった。

昔は汲み取り式便所で便器に板がかけてあったが、ある日汲み取りが来ていた
時にトイレに行ったら板が滑って取れてトイレに落ちた
それから元気になった。
その後は盲腸を患った事があるくらいで、大きな病気をした事がない。



posted by 細田次郎 at 20:25 | Comment(0) | 継伝から知る歴史・伝統・文化

2014年04月25日

家族の絆をつむぐ本-継伝-

お地蔵さん


〜 大田市鳥井町にお住まいの方(70代)の継伝より 〜


本来お地蔵さんというのは日本では平安時代からひろく信仰され、
特に子供の守り仏とされるもの。

昔この辺りではある家で結婚があると、地域の皆さんが自分の所に
あるお地蔵さんを荷車で積んで持ち寄ってきていた。
それを次の日に新郎新婦が返しに行くという習わしがあった。

今の七十〜八十代の人は知っているはず。


posted by 細田次郎 at 19:29 | Comment(0) | 継伝から知る歴史・伝統・文化

2013年12月27日

家族の絆をつむぐ本-継伝-

島根県大田市の郷土料理

 今日はお客様のお宅に料理の撮影に伺いました。

 みなさん、これが何の料理かお分かりでしょうか。


DSC05807.JPG

 地元島根県大田市の女性の方ならすぐお分かりでしょうが、
 そうでない方は分からないと思います。


 DSC05860.JPG

 これは箱寿司≠ニいう郷土料理なんです。
 その名の通り、箱に入れて作るお寿司なんです。
 地元大田市の人間なら一度は目にした事がある料理です。
 
 具材は人参、椎茸、ごぼう等ですが、家庭によって多少違うようです。


DSC05897.JPG

 それにしてもきれいに出来てますね〜!

 しかし最近は若い人の間で作れる人が少ないようです。
 作れない私が言うのも何ですが、是非残してほしい郷土料理です。


DSC05902.JPG

 今日はたまたまイタリア人とガーナ人のお客様が見えられており、
 一緒にお食事を頂きました。
 国際色豊かでおいしい食事を楽しく頂くことができました♪



 【箱寿司 由来】
 石見銀山(大田市にある当時の銀の採掘場。世界遺産)が徳川幕府の天領
 として栄えたころ、天領地を治めるために江戸からやってきた代官やその
 奥方が江戸の味や風習を懐かしんでつくられたのが始まりとされています。

posted by 細田次郎 at 19:51 | Comment(0) | 継伝から知る歴史・伝統・文化

2013年10月16日

家族の絆をつむぐ本-継伝-

今昔写真帖

  
 出雲市多伎町の今昔


(島根県大田市と出雲市にお住まいの方しか
  ピンとこないかもしれません…)

現在 田儀湾.JPG

 田儀湾と街並み

大正5年田儀湾と街並み.JPG

 大正5年。まだ国道9号線が走っていません。

現在 田儀駅2JPG.JPG

 田儀駅

昭和30年 田儀駅.JPG

 昭和30年頃。SLが走っていました。

現在 田儀 本町.JPG

 田儀本町。今はほとんど店がありません。

大正初期 JA田儀付近.JPG
 
 大正初期。店もたくさんあり、賑わいがありました。


posted by 細田次郎 at 00:07 | Comment(0) | 継伝から知る歴史・伝統・文化

2013年06月16日

家族の絆をつむぐ本-継伝-

防風林

 
  〜出雲市にお住まいの方(60代)の継伝より〜


我が家には家の周りを囲う防風林がある。

斐川(現・出雲市斐川町)や出雲は松江や石見地方と違って平野であり、出雲大社
の方から季節風がきつく当たるため防風林で家を風から守る必要があるのだ。
ここら辺の防風林は明治維新の時にできたものらしい。
元々はどんぐりとかシイノキで造っていた。
  
   

    【 防風林 】  
風に備える防災林の一種。家屋・農地・その他人間の活動領域を風(地方風、季節風、
台風など)による被害から守ることを主目的として設けられる森林のことである。


posted by 細田次郎 at 00:04 | Comment(0) | 継伝から知る歴史・伝統・文化

2013年02月21日

家族の絆をつむぐ本-継伝-

昭和30年頃の子供の遊び(出雲地方)


〜 出雲市にお住まいの方(60代)の継伝より 〜


僕が子供の頃は、冬休み頃には「戸板落とし」という仕掛けで雀や鳩、ムクドリやモズ
などを取って遊んでいた。

これは外で障子一枚分くらい積もっている雪を掻いて、そこに米や籾殻などの餌を撒き、
鳥が寄ってきて餌をつついている間に綱を引っ張ると戸板が倒れ、鳥が引っかかる
という仕組みだ。
ここら辺の子供達は皆やっていた。捕まえた鳥はお腹の中に収まる。

他にもぺったんや、ビー玉、コマまわしなどで遊んでいた。
これらをうまくやるかどうかで仲間内で威張れるかどうかが決まるという真剣な遊びだった。



posted by 細田次郎 at 23:21 | Comment(0) | 継伝から知る歴史・伝統・文化

2013年02月17日

家族の絆をつむぐ本-継伝-

出雲のお茶には “しょーけぐち”

〜 出雲市にお住まいの方(80代)の継伝より 〜


「 出雲地方はどこにお茶しにいってもたくさんのお茶口を出す。

“しょーけぐち” ゆうて、漬物やらにしめやら煮豆やら白菜茹でて出したり。小皿と箸をセットで。

吉田村におった時は煮〆と漬物だけじゃない。サラダも出る、酢の物も出る。そういう風習。
すごい。出雲以上に物を出す。奥の方は丁寧だ。

煮〆っていってもお祭りの豪華なにしめ。味付けも上手。それがみんな保存食。
わらびを塩漬けしといたり、ぜんまいや筍を塩漬けしとく。塩出しして煮る。
だからそれを喜んでうまいわあ、うまいわあと言って食べてお茶飲むと食いくたびれる。
塩気が効きすぎて。昼のおかずも晩のおかずも無くなるほどみんなで食べる。朝それを作る。
どこの家行ってもそのくらい出る。 」



お茶をしに行くとどこの家でもお菓子ではなく、たくさんの料理を出す。それが当たり前らしい(驚)
現代の若い世代では自ら野菜を作る人もほとんどいないし、財布の紐も固いのでこのような
風習は薄れているようです。




posted by 細田次郎 at 10:58 | Comment(0) | 継伝から知る歴史・伝統・文化

2013年01月26日

家族の絆をつむぐ本-継伝-

雲州平田の木綿


現在の出雲市平田町は「雲州平田」と呼ばれ、
江戸時代には全国的にも名の知れた良質の木綿
により、商人の町として栄えていました。



島根県奥出雲町から出雲市に流れる“斐伊川”という大きな川があります。
(社会の教科書にも出てきますね!)
奥出雲でさかんに行われていた“たたら製鉄”では、江戸時代中期頃から
この斐伊川に土砂を流し、砂鉄を選別する採鉄法を行っていました。

その土砂が下流の出雲地域まで流れるので、川の水位が上がり、出雲では
たびたび洪水がおき、住民を苦しめていました

そこで1635年(寛永十二年)、出雲を通って日本海に抜けていた斐伊川の流れ
を政策的に宍道湖に注ぐように川違え(人工的に川の流れを変える)を行いました。

その後、政策的にその流れを宍道湖の西側に広がっていた「平田湾」に流入させ、
上流からの土砂を利用して埋め立て(沖積)、広大な新田開発が行われたのでした。

その新田は宍道湖の塩分を含んでおり稲作には適さなかったので、塩分に強く
換金性の高い作物の“木綿”
が栽培されるようになり、宍道湖西岸には綿花地帯
が広がりました。

そうしてできた木綿は、1818年〜1829年には京阪、北陸、九州などに向けて大きな
取引
が行われるまでになったのでした。

その江戸中期の佇まいや文化は『木綿街道』として現在も引き継がれています。


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imageさsd.jpg

               (斐伊川)
 砂が多いのは砂鉄を採るため土砂を大量に流入させたため。
S2-斐~1.JPG


        
   木綿街道の中には約250年前の酒蔵もありますよ〜^^
   今はこんな風になってます(中の一部)。

DSC00949.JPG

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  詳しいことを知りたい方は 『木綿街道振興会』 さんまで。
  上記元酒蔵に事務所があります。
  出雲の歴史、詳しく教えてもらえますよ〜♪
     http://momen-kaidou.jp/




posted by 細田次郎 at 19:26 | Comment(0) | 継伝から知る歴史・伝統・文化