現在の出雲市平田町は「雲州平田」と呼ばれ、
江戸時代には全国的にも名の知れた良質の木綿
により、商人の町として栄えていました。
島根県奥出雲町から出雲市に流れる“斐伊川”という大きな川があります。
(社会の教科書にも出てきますね!)
奥出雲でさかんに行われていた“たたら製鉄”では、江戸時代中期頃から
この斐伊川に土砂を流し、砂鉄を選別する採鉄法を行っていました。
その土砂が下流の出雲地域まで流れるので、川の水位が上がり、出雲では
たびたび洪水がおき、住民を苦しめていました。
そこで1635年(寛永十二年)、出雲を通って日本海に抜けていた斐伊川の流れ
を政策的に宍道湖に注ぐように川違え(人工的に川の流れを変える)を行いました。
その後、政策的にその流れを宍道湖の西側に広がっていた「平田湾」に流入させ、
上流からの土砂を利用して埋め立て(沖積)、広大な新田開発が行われたのでした。
その新田は宍道湖の塩分を含んでおり稲作には適さなかったので、塩分に強く
換金性の高い作物の“木綿”が栽培されるようになり、宍道湖西岸には綿花地帯
が広がりました。
そうしてできた木綿は、1818年〜1829年には京阪、北陸、九州などに向けて大きな
取引が行われるまでになったのでした。
その江戸中期の佇まいや文化は『木綿街道』として現在も引き継がれています。


(斐伊川)
砂が多いのは砂鉄を採るため土砂を大量に流入させたため。
木綿街道の中には約250年前の酒蔵もありますよ〜^^
今はこんな風になってます(中の一部)。
詳しいことを知りたい方は 『木綿街道振興会』 さんまで。
上記元酒蔵に事務所があります。
出雲の歴史、詳しく教えてもらえますよ〜♪
http://momen-kaidou.jp/