2018年05月28日

家族の絆をつむぐ本-継伝-

先生

人に「先生」と呼ぶことによく違和感を覚えます。
私も周囲から「先生」と呼ばれているような方と仕事でご一緒させていただく事も
あるのですが、できるだけ先生と呼ばないようにしています(周囲の事を考えて
呼ぶことも当然ありますが)。

先生って何だろう? と思ってしまいます。

一般的に先生と呼ばれる人はどんな人かというと、学校の先生、お医者さん、
学者さんなどですよね。
よく考えたらみんな勉強のできる人です。
例えばスポーツの一流選手のことを先生とは呼びませんよね。歳を重ねてコーチや
監督くらいになれば先生と呼ばれる事もあるかもしれませんが…

これってちょっと変だと思いませんか?
頭がよくて勉強してきた人は尊敬の意味を込めて先生と呼ばれるのに、身体を動かす
事で努力してきた人はそう呼ばれない。

頭の良し悪しは能力です。能力は努力で身につけたものではありません。
両親や先祖から受け継いだものであり生まれつき備わったものです。
医者の子どもに医者になる人が多いですが、それは記憶力が良い能力が備わっている事が
前提としてあるからです。例えば私などはどんなに勉強したって、記憶力が低いので医者には
なれません。自覚しています。それは悪い事ではなく、あきらめているというわけでもなく、
分をわきまえている(自分の能力を認識している)という事です。
「でも努力は本人の意思じゃないか」と言われそうですが、極端な話、努力できる能力も
遺伝と言えなくもありません。

「そんなこと言ったら、人それぞれ優劣があることを認めて差別じゃないか」
と思われる人ももしかしたらいるかもしれませんが、人は優劣があって当たり前です。
ただ、一人の人が全てにおいて優っているわけではなく、必ず人より劣っている所も
あるはずです。
頭が良い人もいれば、スポーツができる人もいる。絵が得意な人もいれば、会話が得意な人
もいる。何かに打ち込みたい人もいれば、とにかくなまけたい人もいる。
いろんな人がいますが、どんな人でも必ず自分より優っている所もあれば、劣っている所も
あるはずです。

何が言いたいかというと、他人は誰でも必ず自分より優っている所があるのだから、誰もが
先生だと思うんです。私みたいに一度劣等感の極致に達した人間は、周りの人みんなが
学ぶべき人に見えます。
特に自分より先に生まれた人は全員、自分より経験が豊富なわけなので、書いて字のごとく
「先生」なんですよね。


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水を張った田がきれいな時期です。

posted by 細田次郎 at 21:43 | Comment(0) | 紡ぎ部日記
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